[ 筑肥線 大川野駅 ]

最近、
意図的に訪問を避けてきた駅、それが
筑肥線・
大川野駅。
しかし、ある日の仕事帰り、
急にトイレに行きたくなったので、久しぶりにトイレを借りに寄った。

駅に来ると、トイレを借りただけでは終わらないのがLMの性(さが)。
常備しているカメラで、久々に大川野駅を撮った。
ちょうど、駅舎内では
紫陽花の展示をやっていて、
待合室は一面の花の園だった。
しかし、今回敢えてカメラを持ち出した主目的はこれではない。
<今回>

<以前(2010年撮影)>

こちらも大川野駅ではおなじみの構図。
夜、この車止めのある線路とホームを写すと、何とも言えない独特の雰囲気を感じる。
しかし・・・。
以前、それらと共に風情を醸し出していた
あの構築物は、もうない。
そして、
それがLMをこの駅から遠ざけていた理由でもあった。
<今回>

<以前(2009年撮影)>

その構築物とは、ホーム上にあった待合所(上屋)だ。
以前は、国鉄時代の名残を残す待合所が残っていたが、それは
昨年解体され、新しい待合所に置き換わった。
そう、ちょうど・・・
あの
愛しの西相知駅の待合所が建て替えられた頃に。
そういえば、新しい待合所の構造も、
西相知のものとほぼ同じだった。
これにショックを受け、最近、筑肥線は、
肥前長野駅以外はほとんど訪問しなくなった。

待合所に近寄ってみた。
新しい待合所は、透明感があって開放的なのかもしれないが、待合所の灯が眩し過ぎて虫が大量に誘い込まれており、
新しいはずなのに小汚いイメージしか湧かなかった。
少なくとも、LMはこの待合所で過ごしたいとは思わない。
古い方に愛着があるという以前に、こんな虫の飛び回る待合所に誰だって居たくはないだろう。
元の待合所は、ここまでひどくなかったような気がするが・・・。
それ以前に、この待合所は
高さが低過ぎ、中に入ると妙な狭苦しさを感じてしまう。
[ 筑肥線 (補修されながらも使われ続ける)肥前長野駅 ]

筑肥(西)線(山本~伊万里間)からは、
多くの木造駅舎が失われてしまった。
また、待合所など、
国鉄時代の記憶を残すものも消えつつある。
ただ、そのことでLMは
JRを批判するつもりはない。
JRはJRで、耐震性を考えたら建て替えないといけない建物もあるだろうし、地域から「新しい待合所を」と望まれた駅もあるかもしれない。
JRにも地域にも事情があるのだろうし、自分が当事者ならともかく、
余所者が一方的に非難するのもどうかと思う。
ただ、そうした物が消えていくことに、
寂しさと虚無感、無力感を覚えるだけだ。
ともあれ、筑肥(西)線に、今、残されている昔からの駅舎は(起点の山本駅を別にすれば)肥前長野のみ。
このオンボロな駅舎が、
JRの手を離れ、地域に譲渡されたが故に生き延びているというところに
皮肉を感じる。
結局、こうした歴史ある駅舎は、
地元の理解がないと生き残れないということなのだろう。

大川野駅の待合室内の片隅に、紫陽花に埋もれるように駅名標が残されていた。
以前の待合所にかかっていたもので、
貴重な生き証人だ。
駅舎が解体されるところも、待合所が失われるところも、見届けてきたかもしれない。
もし、“彼”に意思があったなら、今の状態をどう思うだろうか。
何もかも新しい物に置き換えられていくのを嘆くのだろうか。
古く懐かしい“仲間”たちが次々に失われていくのを寂しく思うだろうか。
それとも「これが地域の、利用者のみんなの望むことなら、仕方ないさ。みんなが望んだ駅になればいいんだ」と微笑むのだろうか。
答えが分かるはずもない。
ないのだが、レンズを通して短い間に言葉もなく「
語り合った」LMには、“彼”の答えは、一番後者のものであるような気がする。
誇り高くも達観したその駅名標には、きっと「
老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という言葉が一番しっくりくるだろう。
以下、長めのあとがきに続く。

この記事を書いているときに、不意に
昔の筑肥(西)線の旧駅舎が懐かしく思い起こされてきた。
まるで「おおかわの」の駅名標を見たことで、かつての記憶が呼びさまされたかのように。
それで家に帰り、かつての記憶と共に懐かしく旧駅舎の写真を眺め続けていたが、これも何かの縁のような気がするので以前掲出した写真ではあるが、筑肥(西)線の旧駅舎たちの写真を改めて紹介したい。
残念ながら、
大川野駅旧駅舎の写真は撮っていなかった。
無念。
しかし、今では貴重な写真となった
西相知、佐里、駒鳴の旧駅舎の写真だけでも残しておいて良かったと思う。
もし、筑肥(西)線を旅する人が、「以前、ここにはこんな駅舎があったのか」と偲ぶよすがになれば、これ以上の幸せはない。
西相知駅(旧駅舎)
大切な、たくさんの記憶と共に、今も旧駅舎の幻影はLMの心に生き続ける。
LMにとって、木造駅舎の原点ともいうべき母なる駅舎。
佐里駅(旧駅舎)



駅舎の中の写真まで残っているのはここだけだった。
今さらだが、扉も窓もサッシになっておらず、貴重なものであったことが分かる。
駒鳴駅(旧駅舎)


記憶が曖昧になっても、この写真を見れば明瞭にかつての駅舎を思い出す。
写真のありがたさを痛感した。

駅は、特に身近な駅であればあるほど、その存在――駅舎も、跨線橋・待合所その他の構築物も――は
いつまでも変わりないもののように錯覚してしまいがちだ。
そこにあるのが、当然のように思えてしまうから。
だが、思い出深い駅舎も構築物も、人と同じで寿命があり、いつかは「
消え去る」時が来る。
その時になって後悔しても、
もう遅いのだ。
失われた物は二度と帰ってこない。
だからこそ、今、そこにある時に、“
写真”という記憶の中に収めておかなければならないのだと思う。
もし、消え去ってしまっても、再び振り返ることができるように。
だからこそ、これからも撮り続けていこうと思う。
いつか、大切なものが消え去って、後悔しないように。
スポンサーサイト
テーマ:駅の写真 - ジャンル:写真
- 2015/05/31(日) 00:00:01|
- 駅紹介・筑肥線編
-
-
| コメント:4
こんばんは。
「長めのあとがき」の旧駅舎群写真、素晴らしい記録ですね!
どう転んでも今の僕が逢いに行けるものではないのが悲しいです…。
本文の失われた駅舎考、おっしゃる通りだとも思うんですけど、
それにつけても日本人って古いものへのリスペクトが
足りない気がするんですよね僕。
世界遺産だ!って他所からお墨付きを得たら急にありがたがるクセに、
それまでは汚いだの危ないだの…。
ところで、文体変わりましたね(笑)。
でも聡明なLMさん本来のキャラが発揮されてる現在の方が僕は好きです。
ただ、文字の色付け、特に青は以前から
すごく見にくいと感じるのですが…(苦笑)
- 2015/06/01(月) 03:40:13 |
- URL |
- Kyo-to #Ytk3Wfxk
- [ 編集 ]
Kyo-to 様
こんばんは。
コメントありがとうございます。
> 「長めのあとがき」の旧駅舎群写真、素晴らしい記録ですね!
> どう転んでも今の僕が逢いに行けるものではないのが悲しいです…。
そうですね。私の宝物ですよ。
もっとも、今度九州に来られたとき、筑肥線を巡って「ああ、こんな駅舎があったのか」という参考程度にはなりましょうが、それをお見せできないのは残念です。
でも、Kyo-to様もお持ちでしょ、そんな写真。
既に失われてしまい、私がいますぐ見に行きたいと思っても「逢いに行けるものではない」けど、Kyo-to様の写真の中の“記憶”には残されているものが。
きっと、十年、二十年と経つ時の中で、宝物になるでしょう。
> 本文の失われた駅舎考、おっしゃる通りだとも思うんですけど、
> それにつけても日本人って古いものへのリスペクトが
> 足りない気がするんですよね僕。
> 世界遺産だ!って他所からお墨付きを得たら急にありがたがるクセに、
> それまでは汚いだの危ないだの…。
いやあ、そういう話になると、私の研究テーマでもある「日本人の心情」というか、根底にある部分まで突き詰めない気がしますが・・・。
とことんまで突き詰めると話が長くなる(苦笑)のでやめますが、日本人というのは基本的に「新しいもの好き」だと思うんですよ。
特に明治維新以降、「古いものはさらりと脱ぎ捨て、新しいものを着る」という意識が強くなっていったのではないでしょうか。
あと、「流行が好き」で、都会的なモダンな建物が“正義”のように見る風潮があり、古臭く、遅れた田舎の朽ちた建物は次々と建て替えられずにはいられなかったこともありましょう。
それに、石やレンガ造りの外国建築物とは違い、日本の建物は木造です。
当然、石造りに比べ長持ちせず、火災で失われる危険も多々あります。
これに湿度の高い気候、しかも台風の通り道であるうえ、今話題の火山や地震等の天災も外国に比べると多く、古いものが失われやすい条件が整い過ぎています。
そんな古い物が失われていくリスクの多い日本で、古い物ばかり求めていても、後ろ向きになるばかり。
むしろ、古い物が失われても、新しい物を造り直すことで「さあ、やりなおすぞ!」と気持ちを切り替えて、様々な困難を乗り越えてきたことが日本人のどこかには根付いているのではないか。
もちろん、「もったいない」文化もありますから、一概には言えないんでしょうが。
汚い、危ない、これも当然のことでしょう。
同じ値段で、テレビも映らなそうな古臭い宿と、LAN環境完備の真新しいホテルがあればどちらを利用したいと思います?
駅のトイレはポットン便所だけど、すぐそこにウォシュレット完備の公衆トイレがあったら、どちらを使いたいと思うんでしょう?
危ないはそれより深刻で、もし万一、台風や震度5程度の地震等(他の建物には被害がないが、古い建物には致命的な災害があったとき)で駅舎が傾き、中に利用者がいるときに壊れてしまったなら?
それこそJRは「壊れそうになっていたのに、予算がないから今の建物を使い続けていたのは怠慢だ」「以前かから危ないと利用者が指摘していたのに無視していた」「管理が杜撰」とマスコミに袋叩きにされ、場合によっては訴訟まで発展することでしょう。
だからといって、補修をすると「昔の雰囲気がなくなる」とか言われますし、痛し痒しですよね。
肥前長野駅が地元にわたったことで長生きするのが“皮肉”と書いたのは、管理が地元に移ったことで、何かあってもJRは責任を免れることができるから、という意味です。
簡単に古い物を大切に、と言いますが、私はいろいろな経験を通じてその大変さがいかに重い言葉であるかを知るだけに、以前ほど軽々しくは言えなくなりました。
> ところで、文体変わりましたね(笑)。
> でも聡明なLMさん本来のキャラが発揮されてる現在の方が僕は好きです。
いや、気分次第です(苦笑)。
シリアスな感じの文章を書くときは、今までも、そしてこれからもこういう文体で行こうかと思っています。
今作成中の北海道旅行記は、相変わらずの「ですます」調ですよ。
旅行記はそっちが掻きやすいんで(笑)。
> ただ、文字の色付け、特に青は以前から
> すごく見にくいと感じるのですが…(苦笑)
そのこと、前も他の人から言われたので気を付けているつもりでしたが・・・。
つい好きな色なので使ってしまいます。
少し考えないと・・・。
- 2015/06/02(火) 00:35:34 |
- URL |
- #-
- [ 編集 ]