
今日は、
木次線の
下久野駅をご紹介します。
三井野原駅から乗った列車は
木次駅まで行くのですが、途中、
出雲横田駅で30分以上という非常に長い停車時間があり、時間がもったいないので、同駅に停めていた車で先回りすることに。
LMは下久野駅、Kは
日登駅から木次駅へ回ることになりました。
これまで紹介してきた木次線の駅は、
備後落合駅を除きみんな
奥出雲町でしたが、この駅から
雲南市に入ります。
※今回、駅名板を取り損ねました・・・_| ̄|○


下久野駅駅舎。
趣のある木造駅舎に心が和みます。
窓枠がサッシだったりしますが、基本的には
昔ながらの面影を残しています。
訪問したのは2月でしたが、この日はすっかり春の陽気で、暖かな日差しに包まれています。
静かに佇む駅舎には、小さいながらも、どことなく存在感が感じられました。
なお、駅舎には

こんなものが貼ってありました。
この駅の開業は1932(昭和7)年12月18日、つまりここに書かれている日時と一致するわけですが、ということは、単純にこの駅舎が開業当時のものだと判断してよいのでしょうか。


駅舎内部。
昔ながらの趣を良く残しています。
駅舎内にはテーブルと椅子が数脚並べられ、ちょっと
公民館か集会所の趣です。
近くの人が手入れされているのか、きれいな花が飾られています。


駅には、
寄贈された様々な絵が飾ってあります。
特に、上の「
最盛期の下久野駅全景」はなかなか興味ある絵でした。
絵そのものの印象にも魅せられましたが、この絵には
今はないホーム側の線路も明確に描写されており、かつての駅の情景を知る一助になりました。

改札口も昔のまま。
年季の入った木製の改札口が何ともいえず風情です。
いい雰囲気ですね~。


ホームから見た駅舎。
下の写真の左手はホームですが、よく見ると、駅舎とホームが不自然に離れています。
先ほども書いたとおり、以前はここにも線路が走り、交換可能な駅(1面2線)でした。
今では駅舎よりの1線が撤去され、1面1線になっています。

またしても登場の
神話駅名。
ここには堂々「神話駅名」の看板までありますヨ(笑)。
それで、肝心の下久野駅の神話駅名はというと・・・「
動動(あよあよ)」
意味不明(;´Д`)???
他の神話駅名は、曲がりなりにも日本神話でその名を聞いたことのある神名・地名を冠しているのに対し、
「動動」なんて話は聞いたこともありません。
では、どんな話なのかと言えば・・・。

(詳細は写真を拡大してください)
・・・。
謎です(-_-;)
この
神話の意味は深すぎて、LMのような人間には理解できません(;´Д`)
あまりにも謎なので逆に調べてみる気になり(苦笑)、調査してみると、この語は「
出雲国風土記」に記されている話だと分かりました。
雲南市立阿用小学校のHPに、その詳細が記されています。
(同HPに掲載されている文章は「大東町誌」からの抜粋)
[阿用郷(あよのさと)の郷名伝説]
『風土記』の阿用郷の条に次の記述がある。
阿用郷(あよのさと)。郡家の東南一十三里八十歩なり。
古老の伝えに言へらく、昔ある人、此の処の山田を佃(つく)りて守(も)りき。
その時、目一つの鬼来て、佃人(たつくる)の男を食へり。
その時、男の父母、竹原に隠れて居りき。時に竹の葉動(あよ)げり。
その時、食はえし男、「動(あよ)、動(あよ)」と言ひき。
故(かれ)、阿欲(あよ)と言ふ。
(神亀三年に、字を阿用と改む)
この伝説は、いわゆる一つ目小僧に似た鬼が、農夫を食ったという怪異伝説であるが、自分の危機に際して、なお両親の安全を念じて『あよあよ』(「あよ」は「動く」の古語)と警告したという話で、そこには、郷土先人の親を思う美しい心が宿されていることを感ずる。
以上のような神話伝説は、学校、出版物もなかった古代に、語り伝えて心の支えとし、教えともされたもので、一言一句の間にも、清純な古人の心を読みとることができる。 ※一部修正個所あり。
・・・うーむ、深い意味のある話ですね(苦笑)。
しかし、地元の地区名の由来になっているとはいえ、
他の駅の神話駅名と比べると、かなり毛並みの違う話のような気がします。


駅ホーム。
上が備後落合・出雲横田方面、下は木次・宍道方面です。
ホームの向かい側にある竹林は、「動動」の伝説で鬼に食われた男の両親が隠れたという竹やぶをほうふつとさせます。

長大なホームにアクセントのように存在する待合所。
がっしりした感じの立派なもので、普通の待合所に比べると
風格さえ感じられます。

ホームに入ってくる列車。
出雲横田駅で下車した列車になります。
さすがに運転手も変な顔をしていましたが、それはそうでしょうな(苦笑)。
この運転手は、
三井野原への往復でも顔を合わせているのですから、余計にそう思ったことでしょう(笑)。
※木次線での撮影は他でもしているのですが、とりあえず諸事情から木次線の駅紹介は一時中断します。機会があれば再開する予定ですので、(期待せずに)お待ちくださいませ。
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テーマ:駅の風景 - ジャンル:旅行
- 2009/04/03(金) 00:00:01|
- 駅探訪
-
-
| コメント:4
ご無沙汰しております。
なんか褒める所が違う
いや明らかに違っているのですが、最盛期の下久野駅全景の絵良いですね。
筆使いの才能があれば、写真より絵を描きたいくらいですが、残念な事に才能に恵まれませんでした。
自分で撮影したものを部屋に飾ったりした事はないのですが、こんな絵が描ければ飾ってみたいですね。
- 2009/04/03(金) 23:26:28 |
- URL |
- visual palette #-
- [ 編集 ]
こんばんは、visual palette様。
お久しぶりです。
コメントありがとうございます。
> なんか褒める所が違う
いや、私も絵自体は大変いいなぁと思っているんですよ(笑)。
ただ、この絵は美術品として優れているだけではなく、昔の情景をしっかりと“記憶”しているんだなぁ、と思ったのです。
> こんな絵が描ければ飾ってみたい
そうですね~。でも、写真と同じで、画力があればあるほど逆に自分の描いた絵になかなか満足できず、飾れないかもしれませんよ(苦笑)。
満足できたら、描いた駅に寄贈してみてはどうですか(笑)。
- 2009/04/03(金) 23:53:12 |
- URL |
- LM #-
- [ 編集 ]
今はまずこういった雰囲気のいい木造駅舎が少なくなってきているのが第一ですよね(実際僕はこういった駅で降りたことがなく、見たことがあるだけでも飯田線の小和田駅や、山陰本線の御来屋駅くらいしか浮かびません)。
それにしても、これだけ昔を語り継ぐ財産があれば、駅でゆっくりしていても退屈しませんし、なにより心が落ち着きそうですよね。
こういった駅は利用者の減少による合理化で簡素なプレハブ待合室に作り変えられることもしばしばですが、根強く生き残って欲しいものです(ん?前もこんなこと言いましたっけ…?)。
- 2009/04/04(土) 19:49:51 |
- URL |
- OBA3 #EeDw3ChA
- [ 編集 ]
こんにちは、OBA3様。
いつもコメントいただき、何とお礼をしてよいものやら・・・。
本当に感謝しております<(_ _)>
> 今はまずこういった雰囲気のいい木造駅舎が少なくなってきている
そうですね、最近はこういった駅舎があちこちで取り壊されていますので・・・。
昔を偲ぶことのできる木造駅舎は、大変貴重です。
これからもずっと残っていってほしいですね。
> 退屈しませんし、なにより心が落ち着きそう
はい。LMはまさにその通りです。
木造駅舎の中に一人静かに身を置けば、何もしなくても退屈なんてしませんし、日頃の憂さからも解放されて、心が和みます。
- 2009/04/05(日) 09:59:29 |
- URL |
- LM #-
- [ 編集 ]