今日から本格的に更新再開します。
御無沙汰しまして申し訳ないです。

さて、本日取り上げるのは、
筑肥線の
鹿家駅です。
鹿家駅は、電化された唐津以東の筑肥線にあります。
筑肥(東)線は、この付近では海沿いを走りますが、駅は少し内陸に入った閑静な場所にあります。
この駅には、
筑肥線でも指折りの雰囲気の良い木造駅舎が
以前ありました。
鹿家駅は、1923(大正12)年、筑肥線の前身である
北九州鉄道の駅として開業。
その後、1937(昭和12)年に国有化され、その翌年に写真の木造駅舎が完成しています。
以後、本年に至るまで74年間、この地にあり続けました。
駅舎の雰囲気は良く、同じ筑肥線(ただし、こちらは唐津以西の非電化区間)の
肥前長野駅と匹敵するほどの駅舎でした。
電化されているのが不思議なほど、独特の風情を漂わせていました。
まさに、筑肥線の「西の肥前長野、東の鹿家」と言える存在だったのです。

ただ、
肥前長野駅同様、この駅も
痛みがかなり激しい状態になっていました。
駅舎としては、実は肥前長野駅よりも若いのですが、海が近いため、潮風等による腐食もあったのでしょうか。
このため、取り壊しが検討されることになります。
地元住民からは、何とかこの旧駅舎の保存と活用を図るよう運動もあったとか。
実際、JR九州は自治体への譲渡にも前向きだったといいます。
しかし、
維持管理に費用がかかりすぎることから、その試みも断念。
ついに本年3月、
旧駅舎は閉鎖され、その後解体されることになったのです。
時期的に見て、随分取り上げるのが遅くなったわけですが・・・。
当時は、旧駅舎解体がショックで傷心気味だったため、取り上げきれずにいました。
その後も、解体の現実から目をそらすかのようにこの駅を避けていたのですが・・・。
最近、筑肥線を利用することになり、LMの乗った列車はこの駅で交換のため停車。
その際、新しく駅舎が建て替わっているのを見て、
否応なくこの現実を受け入れざるを得なくなったのです。
そして、別の機会に、改めて訪問してみたのでした。

小さなプレハブ風の駅舎。
駅舎というよりは、待合所というべき程度のものです。
手前に見える旧駅舎跡の敷地を見れば、いかにコンパクト化が分かります。
・・・同時に、旧駅舎がいかにどっしりとした存在だったのかも。

せめてもの慰めは、旧駅舎から引き継がれた駅名板が残されたことと、旧駅舎の写真が待合所のガラス張りの中にはめ込まれ残されていること。
しかも、写真は、
旧駅舎が最も美しく彩られる桜の季節のもの。
その写真を見て、涙があふれそうになりました。

またひとつ、LMの前から消えていった木造駅舎。
寂寥感漂うLMの心を映したかのような、どんよりと灰色がかった空。
やがて、その空から涙雨が降り注ぎ、傘をさす気さえ失せたLMをぬらしていきました。
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テーマ:駅の風景 - ジャンル:旅行
- 2012/10/30(火) 00:00:01|
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