2015.05.31(Sun):駅紹介・筑肥線編

[ 筑肥線 大川野駅 ]
大川野駅201505(1)
最近、意図的に訪問を避けてきた駅、それが筑肥線大川野駅
しかし、ある日の仕事帰り、急にトイレに行きたくなったので、久しぶりにトイレを借りに寄った。

大川野駅201505(2)
駅に来ると、トイレを借りただけでは終わらないのがLMの性(さが)。
常備しているカメラで、久々に大川野駅を撮った。
ちょうど、駅舎内では紫陽花の展示をやっていて、待合室は一面の花の園だった。
しかし、今回敢えてカメラを持ち出した主目的はこれではない。

<今回>
大川野駅201505(3)

<以前(2010年撮影)>
筑肥線201008(12)
こちらも大川野駅ではおなじみの構図。
夜、この車止めのある線路とホームを写すと、何とも言えない独特の雰囲気を感じる。
しかし・・・。
以前、それらと共に風情を醸し出していたあの構築物は、もうない
そして、それがLMをこの駅から遠ざけていた理由でもあった。

<今回>
大川野駅201505(4)

<以前(2009年撮影)>
大川野駅201505(7)
その構築物とは、ホーム上にあった待合所(上屋)だ。
以前は、国鉄時代の名残を残す待合所が残っていたが、それは昨年解体され、新しい待合所に置き換わった。
そう、ちょうど・・・
あの愛しの西相知駅の待合所が建て替えられた頃に。
そういえば、新しい待合所の構造も、西相知のものとほぼ同じだった。
これにショックを受け、最近、筑肥線は、肥前長野駅以外はほとんど訪問しなくなった

大川野駅201505(5)
待合所に近寄ってみた。
新しい待合所は、透明感があって開放的なのかもしれないが、待合所の灯が眩し過ぎて虫が大量に誘い込まれており、新しいはずなのに小汚いイメージしか湧かなかった。
少なくとも、LMはこの待合所で過ごしたいとは思わない。
古い方に愛着があるという以前に、こんな虫の飛び回る待合所に誰だって居たくはないだろう。
元の待合所は、ここまでひどくなかったような気がするが・・・。
それ以前に、この待合所は高さが低過ぎ、中に入ると妙な狭苦しさを感じてしまう。

[ 筑肥線 (補修されながらも使われ続ける)肥前長野駅 ]
肥前長野駅改修
筑肥(西)線(山本~伊万里間)からは、多くの木造駅舎が失われてしまった
また、待合所など、国鉄時代の記憶を残すものも消えつつある
ただ、そのことでLMはJRを批判するつもりはない
JRはJRで、耐震性を考えたら建て替えないといけない建物もあるだろうし、地域から「新しい待合所を」と望まれた駅もあるかもしれない。
JRにも地域にも事情があるのだろうし、自分が当事者ならともかく、余所者が一方的に非難するのもどうかと思う。
ただ、そうした物が消えていくことに、寂しさと虚無感、無力感を覚えるだけだ。
ともあれ、筑肥(西)線に、今、残されている昔からの駅舎は(起点の山本駅を別にすれば)肥前長野のみ。
このオンボロな駅舎が、JRの手を離れ、地域に譲渡されたが故に生き延びているというところに皮肉を感じる。
結局、こうした歴史ある駅舎は、地元の理解がないと生き残れないということなのだろう。

大川野駅201505(6)
大川野駅の待合室内の片隅に、紫陽花に埋もれるように駅名標が残されていた。
以前の待合所にかかっていたもので、貴重な生き証人だ。
駅舎が解体されるところも、待合所が失われるところも、見届けてきたかもしれない。
もし、“彼”に意思があったなら、今の状態をどう思うだろうか。
何もかも新しい物に置き換えられていくのを嘆くのだろうか。
古く懐かしい“仲間”たちが次々に失われていくのを寂しく思うだろうか。
それとも「これが地域の、利用者のみんなの望むことなら、仕方ないさ。みんなが望んだ駅になればいいんだ」と微笑むのだろうか。
答えが分かるはずもない。
ないのだが、レンズを通して短い間に言葉もなく「語り合った」LMには、“彼”の答えは、一番後者のものであるような気がする。
誇り高くも達観したその駅名標には、きっと「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という言葉が一番しっくりくるだろう。


以下、長めのあとがきに続く。

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