【政和駅跡】

(アクセス)
「
森と湖の里ほろかない」から
国道275号線を朱鞠内方面に走ると、政和の集落に入り、
政和簡易郵便局が右手に見えてくる。
その少し先、右手にガソリンスタンド跡の黄色いコンクリ壁が現れる。
そこから右手に入ると、ちょっとした広場になっており、中央に「
幌加内町開基七十年」を記念した緑色の鉄塔がある。
駅は、その奥に位置する。

(遺構概要)
政和駅も木造駅舎が残されています。
ただ、資料を見る限り、2002(平成14)年までは閉鎖当時のままで存続していたようですが・・・。
その後、食堂に転用されたらしく、その際に改装されて若干印象が変わってしまっています。
特に、外壁は改装前と比べるとかなり改修されています。
それでも、全体的な形状としては、ほぼ現役当時の姿を残しています。
廃止から18年もたってこれだけ駅舎の外見を残しているのですから、良い方だと言わなければならないでしょう。

政和駅は、
深名線廃止後、所有者が転々としたようです。
確認できる範囲では、最も新しい所有者は駅舎をそのまま利用して食堂にしたようです。
ただ、この食堂、冬季は休業ということになっているらしいですが・・・。
LMたちが訪問したのは夏の真っ盛りの8月であったにも関わらず、
食堂は閉まったままでした。
もっとも、LMたちが訪問した時間帯(17時前)は、単に営業時間でなかったのかもしれませんが。
現在の利用状況は不明でした。

裏手から見た駅舎。
他の残存駅舎も、ホーム側は大体塞がっていますが・・・。
ここは特に完全に塞がれてしまっています。

駅舎の裏手では、短い夏に生育を競うかのように、雑草が生い茂っていました。
かつてはここに1面1線のホームがありました。
ホームは、残念ながら2000(平成12)年に整地されたようです。
雑草広がるかつての路盤後に立つと、何故か寂寥感を感じます。
草に覆われて放置されたこの場所は、そのまま
北海道の鉄道の斜陽を表しているようにさえ感じます。

かつて線路が伸びていたと思われる場所。
今ではすっかり草木に覆われています。
こんな辺鄙な場所までも鉄路を延伸させた先人たちの努力は、いかばかりのものだったのでしょうか。
しかし、彼らの血と汗の結晶だった深名線は廃止され、自然に戻る日も遠くないでしょう。
先人たちは、道内の鉄路の多くが廃止され、失われていく様を、どう思っているのでしょうか。
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テーマ:駅の風景 - ジャンル:旅行
- 2013/11/29(金) 00:00:01|
- 廃線探訪
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| コメント:4
<こんな辺鄙な場所までも鉄路を延伸させた先人たちの努力は、いかばかりのものだったのでしょうか。
しかし、彼らの血と汗の結晶だった深名線は廃止され、自然に戻る日も遠くないでしょう。
先人たちは、道内の鉄路の多くが廃止され、失われていく様を、どう思っているのでしょうか。>
最後はとても印象的ですね。私も同感ですが、これは深名線に限らずに言える事ですね。まだ「失われ」てはいませんが「常紋」辺りの逸話を考えると、先人たちの「鉄道にかける思い」も今では「過去のモノ」として忘れ去られてしまうのでしょうか・・・
政和には「政和温泉」なる駅もあったはずですが、現在は温泉は枯れてしまい撤退していると聞いてます。とはいうものの「道の駅」として再デビューしているみたいですね。
レイルウェイ・ライターの種村氏もかつてこの温泉を訪問していると彼の著書で読んだことありますが、確か当時は全国版時刻表に掲載されてない駅、つまり仮乗降場であったと思います。一軒宿であったらしく、本当に「辺鄙」な場所にあったらしいですね。
私も「こういう年齢」になるとこうした一軒宿などでのんびりしたいと思うなんて・・・「いい旅チャレンジ2000km」時代には考えもしなかった事ですが、やはり年を取ったのでしょうか。
- 2013/11/29(金) 08:04:10 |
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- ダイヤモンド☆トナカイ #-
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はじめまして
記事を拝見させていただいてます。深名線は乗車した事があるので、その後が非常に気になっていました。
JR、平成になってから廃線になったとは思えないほどに自然に還っていますね。
とはいえ記事を拝見させていたたくとまだ痕跡が残っているようですね。
記事を楽しみにしています。
- 2013/11/29(金) 08:20:42 |
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- キネ #-
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ダイヤモンド☆トナカイ 様
こんばんは。
コメントありがとうございます。
> 先人たちの「鉄道にかける思い」も今では「過去のモノ」として忘れ去られてしまうのでしょうか・・・
それも「時代の流れ」だからやむを得ないのかもしれませんが、一抹の寂しさはありますよね。
もっとも、常紋も深名線も劣悪な環境下での強制労働で切り拓かれた過去があるので、軽々しくは言えない部分もありますけど・・・。
> 政和には「政和温泉」なる駅もあったはずですが、現在は温泉は枯れてしまい撤退していると聞いてます。
> とはいうものの「道の駅」として再デビューしているみたいですね。
実地調査したわけではありませんが、政和温泉「ルオント」の近くに政和温泉駅はあったようですね。
> レイルウェイ・ライターの種村氏もかつてこの温泉を訪問していると彼の著書で読んだことありますが、
> 確か当時は全国版時刻表に掲載されてない駅、つまり仮乗降場であったと思います。一軒宿であった
> らしく、本当に「辺鄙」な場所にあったらしいですね。
まあ、腰のもの一枚で食べる「裸ジンギスカン」が売りだったというくらいですからね(笑)。
仮乗降場から駅に昇格したのは、他のこうした駅同様、JR化の後のようですねぇ。
確か、駅に昇格したころには、温泉の泉源が枯渇して、温泉は休業中だったはず。
恐らくそれが原因で、早々に廃止(深名線廃止前の1990年廃止)されたのでしょうね。
> 私も「こういう年齢」になるとこうした一軒宿などでのんびりしたいと思うなんて・・・
> 「いい旅チャレンジ2000km」時代には考えもしなかった事ですが、やはり年を取ったのでしょうか。
私も昔は綿密なダイヤを組み上げて、可能な限り鉄道で回るという行程でしたが、さすがに無理できなくなりました。
やはり、年とともに無茶なことはできなくなるものですね(汗)。
- 2013/11/29(金) 21:40:44 |
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キネ 様
こんばんは。
ようこそ当ブログへ、コメントありがとうございます。
> 記事を拝見させていただいてます。深名線は乗車した事があるので、その後が非常に気になっていました。
私も、今回の旅に出るまで、同じような思いでいた者の一人ですよ。
その思いが高じて、ついに沿線を旅してまわることに決めたのです。
> JR、平成になってから廃線になったとは思えないほどに自然に還っていますね。
> とはいえ記事を拝見させていたたくとまだ痕跡が残っているようですね。
まあ、平成になってからの廃線とはいえ、廃止されてから早18年の月日が流れてしまいましたからね。
当時生まれた子供が、もう大学受験に精を出さないといけないほどの年月が経過しているわけですから(笑)。
周りを見渡しても、18年も年月が経過すれば、建物や景色はだいぶ変わってしまうものです。
そんな中で、これだけの遺構が残っているだけでも良い方なのではないでしょうか。
> 記事を楽しみにしています。
少しでも楽しみにしておられる方がいてくださり、ほっとしました(笑)。
実は、あまりにも周囲からの反応が鈍いので、連載を中止しようかと考えていたくらいですので(汗)。
深名線の記事ももうあとわずかになりました。
最後までお楽しみいただければ幸いです。
- 2013/11/29(金) 21:53:53 |
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