2014.08.23(Sat):駅探訪

美作河井駅(1)
本日は、当ブログのメインテーマ(?)である駅紹介に戻ります。
今日は、因美線から美作河井駅をご紹介しましょう。
美作河井駅も、那岐駅と同じく昨年訪問していますが、PC大破の影響でデータが失われたため、今年のGWに再訪した駅です。

美作河井駅(2)
美作河井駅駅舎。
因美線内でも指折りの、良好な状態の木造駅舎が今も残されています。
残念ながら、窓や扉はサッシになっていますが、年季を感じる下見板張りの板壁と、玄関の庇がいい雰囲気を出していました。
因美線の駅のうち、美作河井駅は岡山県最初の駅であり、この駅以西は全て津山市になります。
この津山市には、因美線を始め、他の路線にも、現存する木造駅舎が非常に多く残されているのが特長。
過去に紹介した、美作滝尾駅も津山市にあります。
面白いのは、津山市では、こうした木造駅舎を一種の観光資源としてPRしているところ。
特に、因美線の木造駅舎は、観光列車「みまさかスローライフ列車」が停車しイベントが行われる関係からか、観光協会のHPでもとりあげられています。
本駅も、HP上で公開されていますが、なかなか面白い取り組みだと思います。

美作河井駅(4)
駅の説明からいささかそれましたが、駅舎は、美作河井駅が開業した1931(昭和6)年当時のもの。
その頃、津山側から敷設されてきた因美線(開業当時は因美南線)が美作加茂駅からこの駅まで延伸し、開業。
短い期間、同線の終着駅でしたが、翌1932(昭和7)年には早くも智頭駅まで延伸し、途中駅になりました。
駅は高台にあり、少し下った場所には小さな集落もありますが、周囲を山に囲まれた環境は秘境駅ムードに満ちています。

美作河井駅(5)

美作河井駅(6)
駅舎内部。
駅舎内部も、昔ながらのたたずまいを残しており、状態は素晴らしいものがあります。
特に、切符売場やラッチ(小荷物預かり所)が昔のままの状態で残されているのは大変貴重。
当時のままの木製窓枠から眺めることのできる駅員事務室もきれいに保持されており、木造駅舎としての保存状態はかなり良好です。
那岐駅の項でもふれましたが、因美線は、かつての基幹路線でありながらCTC化が遅れ(1999(平成11)年にCTC化)、長い間タブレット閉塞が用いられてきました。
その影響もあってか、JR化以降も有人駅が多くあったのです。
美作河井駅も1997(平成9)年に無人化されるまでは有人駅であったため、当時の面影を今によく残しているものと思われます。
もちろん、地元の人々の協力もあってこそ、この状態が維持されていると思います。

美作河井駅(7)

美作河井駅(8)

美作河井駅(9)
美作河井駅ホーム。
美作河井駅は、駅全体が高台の上に立地しています。
かつては島式ホーム1面2線だったらしい面影を残しており、また側線があったらしい形跡もうかがえます。
因美線は、いかにもローカルな雰囲気の路線ながら、かつては津山線と併せ、岡山-鳥取間を結ぶ陰陽連絡線のメインルートとして機能していました。
しかし、岡山だけでなく、京阪神地区から鳥取までの短絡ルートにもなる智頭急行智頭線が1994(平成6)年に開通すると、そちらに陰陽連絡線としての役割を奪われる形となり、因美線智頭以南は寂れたローカル線へと転落します。
これに伴い、列車本数も減少し、1997年(平成9年)に駅は無人化。
同時に、列車交換機能を失い、棒線化されたのでした。


無人化前はタブレット収受が行われていましたが、たまたま You Tube に美作河井駅でのタブレット収受(急行「砂丘」の走行しながらタブレットを受け取る方式)がアップされているので、参考までにご紹介したいと思います。
※他の方の動画です。

美作河井駅(12)
ちなみに、ホームに降り立つと「矢筈城」の大きな看板が目に入ります。
これは、当駅が矢筈城跡を訪問する際の最寄り駅であることによります。
中世の山城としては岡山県下でも最大、また全国の山城の中でも屈指の高さを持つ要害・矢筈城は、地元の国人領主である草刈氏によって築城されました。
本年のNHK大河「軍師官兵衛」でも登場した織田軍の毛利攻めに際し、毛利方に属したこの城は、羽柴(豊臣)秀吉等の織田軍から数次にわたり攻撃を受けながら、ついに一度も落城することがなかったという堅城でした。
ただ、何せ屈指の高さにある山城跡のため、軽々しくは訪問できず、ほぼ“登山”に近い万全の装備が必要になるようです。

美作河井駅(10)
美作河井駅構内に残る転車台。
人力で回転させる方式で、以前紹介した若桜鉄道若桜駅にある転車台と似たような形式と思われます。
この転車台は、かつては除雪車の方向転換に使われていたそうです。
訪問すれば分かりますが、この付近は非常に山深く、それだけに雪の影響を受けやすい区間といえます。
鉄道以外の交通機関が未発達の時代、雪から鉄路を守り、維持するという業務は今以上に大切な役割だったことでしょう。
ましてやかつては陰陽連絡のメインルートであった因美線だけに、一層その役割は重要だったはず。
そのような環境の中、この駅では、鳥取方面からやってくる除雪車の方向転換のため活躍していたのです。
その当時は、転車台だけではなく給水塔もあったといいますから、かつての美作河井駅は、今では想像できないくらい駅員の喧騒に満ちていた駅だったのかもしれません。

美作河井駅(11)
しかし、次第に除雪作業の合理化や降雪量自体の減少により、いつの頃からかこの転車台は使われなくなっていたようです。
その後、意図的になのか自然になのかは不明ながら、転車台は埋没し、その存在は忘れられていました。
ところが、平成18(2006)年、津山鉄道部により整備(樹木の伐採など)が始まり、平成19(2007)年には埋まっていた転車台が掘り出され、その姿を見ることができるようになりました。
このような整備が行われた背景には、平成19(2007)年に催された 「岡山デスティネーションキャンペーン」があったようで、津山駅の扇形機関庫・転車台とともに、鉄道遺産、ひいては近代化遺産として重要なこの転車台を保存・活用しようというところからの取り組みだったようです。
実際、美作河井駅の転車台は貴重なもので、この駅に据え付けられたのは昭和初期頃なのですが、それ以前にどこかで使われていたのが転用されているそうです。
そして、転車台の特徴などから来歴を遡れば、歴史は古く明治頃のものである可能性が指摘されているそうです。
そんな昔の、しかもほぼ完全な状態の転車台は貴重な物であり、その価値が認められて、2009(平成21)年に近代化産業遺産の認定を受けたのでした。

美作河井駅(3)
山間の小さな駅ですが、見所満載の駅でした。
今回はあまり時間がかけられませんでしたが、機会があればゆっくり滞在したい駅ですね。
ひんびり駅の長椅子に座って、長閑な時間を過ごしてみたいです。

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