[ 石北本線 下白滝駅 ]

下白滝駅に最後の別れを告げる前から、LMにとってずっと気になっていたこと――。
それは「
開業当時の下白滝駅の駅舎はどんなものだったのだろう」ということです。
もちろん、現在の下白滝駅自体も開業当時から残されているものではありますが、完全に当時のままとは思えません。
特に、玄関口には、以前はひさしがあったらしい形跡が残っているので、せめて正面側だけでも、過去にどんな姿だったかが分かれば……と思っていました。
しかし、LMが探す資料の中に、なかなかそうした資料は見当たりませんでした。
ところが、最近になって、昔の下白滝駅駅舎の写真が『
白滝村史』なる資料に掲載されていることが判明。
また、この資料は、丸瀬布駅に併設された「丸瀬布生涯学習館」にも蔵書されていることが分かったので、今回、下白滝駅訪問の途中に立ち寄りました。

※撮影年不明

※2015年8月撮影
(白黒写真は『白滝村史』から。以下の写真も同じ。写真掲載については、
白滝教育センターに電話で問い合わせ、了承していただいています)
昔の写真のうえに、小さい写真を無理に拡大しているので荒れてしまっていますが、上の写真がほぼ駅舎の設備が完全に残っていた頃の下白滝駅です。
開業当時の写真かどうかは不明ですが、少なくとも今の姿よりはずっと開業当時の姿に近いでしょう。
この写真を現在の写真と比較すると、
随分と違う印象を受けます。
まず、予想外だったのが、玄関口のひさしが思っていたよりも立派だったこと。
ひさしがあっただろうことはLMにも想像がつきましたが、予想より大きな存在でした。
逆に、今の駅舎には玄関の頭上に三角状の突起がありますが、当時はありません。
ひさしが失われた後、雪が玄関に滑り落ちてこないように工作されたものでしょうか。
次に大きな特徴はやはり窓で、今は塗り潰されていますが、当時は上段の採光用(?)の窓が健在で、より堂々とした風格のある構えをしています。
こうして見たとき、基本的に
同じ駅舎ではあっても、木造駅舎は時代と共に様々な変化を重ねているわけであり、LMが木造駅舎を紹介するときに決まり文句のように使う
「開業当時の駅舎」という言葉が疑わしいものに思われてきます。
同資料には他にも白滝の駅が載っていましたので、ついでながらご紹介。
ただ、何故か
白滝駅の旧駅舎は撮り逃してましたorz
なお、旧白滝駅の写真は『白滝村史』には出ていませんでした(ちなみに『白滝村史』発行時は
旧白滝臨時停車場)。
[ 石北本線 上白滝駅 ]

※撮影年不明

※2016年1月撮影
まずは上白滝駅。
こちらは下白滝駅と違い、割と昔のイメージをそのままに残していますね。
[ 石北本線 奥白滝信号場(旧奥白滝駅) ]

※撮影年不明

※2011年2月撮影
そして奥白滝駅(現信号場)。
LMは信号場になった後の訪問でしたから、あまり比較にはなりませんが。
今は消え去ろうとしている駅たちですが、かつては
必要に応じて設置された駅だったと思います。
『白滝村史』を読んでいても、かつてはたくさんの利用者や貨物のやり取りがあったと分かります。
しかし、かつての主要産業であった林業の衰退などにより、白滝の人口は減少し、それに伴い駅の利用者も減少。
なかには奥白滝のように周辺人口がゼロになったパターンもありました。
車社会の進展もあり、駅の利用者(列車の本数も)がますます減って、ついには「
秘境駅」とまで呼ばれるに至りました。
そしてもうすぐ、白滝に存在した駅は、白滝駅以外消えていこうとしています。
そこには地域産業の衰退による過疎化など、日本の地方が持つ縮図があるような気がしてなりません。
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テーマ:駅の写真 - ジャンル:写真
- 2016/02/20(土) 00:00:01|
- 駅探訪
-
-
| コメント:6
この駅も盛んな頃はは9人もの駅員がいたと聞きます。
奥白滝には旅館もあったそうで、
東京に鉄道敷設嘆願に行くときには、手土産にかぼちゃをもっていって
熱心に誘致運動をしたそうです。(本に書いてあったです)
白滝村の歴史に詳しい方がブログをなさっていらっしゃるので、
聞きかじりの自分らが言うまでもなくなんですが・・・
・・・みならいかのんほか
- 2016/02/22(月) 12:35:02 |
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- みならいかのん&はじめっち&つるみん&ゆたか #-
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こんにちは
ああ、資料見せてもらえたんですね、よかったです
ちなみに、村史には白滝駅の旧駅舎の写真は掲載されてないので見逃したのは当然でしたよ(^^;かろうじて「北海道690駅」という本にちーさく載ってます
また、白滝教育センターには旧駅舎の前で出征者を見送る写真(郷土史家が寄贈したもの)が保管されてます 上白滝や下白滝の駅舎によく似ていましたよ
いまの駅舎は平成元年のもの それでもずいぶん経ちましたね
- 2016/02/22(月) 22:27:14 |
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- Jam #-
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みならいかのん&はじめっち&つるみん&ゆたか 様
こんばんは。
コメントありがとうございます。
駅の栄枯盛衰といったところですか。
昔は自動化されてなく、いろいろな場面で人手がいるので、駅員は多かったようですね。
昔は旅館もあったのに・・・というのはほかでもよく聞く話で、今回同じく廃止される金華駅周辺も以前は旅館があったそうなのに今では閑散としていますし、LMの住んでいる近くにある西相知駅も以前は駅前に商店街や旅館、劇場まであったという話があるのに、今は周囲に家一軒もありません。
今はそこに駅があるのが当たり前のように思えても、十数年経って環境が激変すればどうなるか分からないものなのかもしれません。
- 2016/02/23(火) 01:38:48 |
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- #-
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Jam 様
こんばんは。
コメントありがとうございます。
その節はありがとうございました。
資料見せてもらったうえで、その場では掲載の可否が不明だったので、改めて教育センターに電話しました。
事情を説明したら、快く許可してもらいました。
> ちなみに、村史には白滝駅の旧駅舎の写真は掲載されてないので見逃したのは当然でしたよ(^^;
> かろうじて「北海道690駅」という本にちーさく載ってます
あれ、そうでしたっけ?
白滝駅の写真も載っていたような気がしましたけど・・・。
駅だけでなく、人もたくさん写ってはいた気がしますが(汗)。
> いまの駅舎は平成元年のもの それでもずいぶん経ちましたね
ああ、あの駅舎は元年のものなんですか。
平成ももう28年ですから、もうすぐ三十路に突入というところですかね。
そう考えると、本当に昭和は遠くになりにけりという気がします・・・。
- 2016/02/23(火) 01:57:32 |
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- #-
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先ほどうちの資料確認したら、
確かに村史に旧駅舎の写真在りましたね、失礼いたしました
ただ。その写真めっちゃ真っ黒(;'∀')
人がたくさん写ってる写真は南瓜団体陳情のものはありましたがそれは駅成立以前のものだし、白滝の消防パレードの賑わいの駅前写真など見ても そちらは建物がめっちゃ薄くてぼんやり(;'∀')
確か以前私も、これではなくもっと明瞭な白滝駅の写真を探したのですが、駅舎単独での写真は見当たらず郷土史家所蔵の出征者のお見送りの駅前記念写真、小学校タイムカプセル内の駅舎正面からではないホームから見送る人々の写真をそれぞれ見つけたので、それで村史に白滝駅の写真がないと記憶していたようです
地元の人に尋ねてもなかなか駅舎の写真がなくて、よく考えたら当時駅舎だけ写真撮るような趣味の人は少なかったでしょうね、地元住人は(笑)
遠軽の本町の郷土館のほうや遠軽駅や森林組合などとかにはあるのかもしれません
まあそれ以上は追いかけませんでしたが・・・
うちはダンナ転勤があるので これから住む地を好きになるためにとまずはその地の歴史などを知ろうと図書館や資料館を訪ねることにしています こういうのは楽しいですね
- 2016/02/23(火) 08:20:30 |
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- Jam #-
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Jam 様
こんばんは。
コメントありがとうございます。
コメントに気づくのが遅れ、レスが遅延して失礼しました(--;
> 先ほどうちの資料確認したら、
> 確かに村史に旧駅舎の写真在りましたね、失礼いたしました
> ただ。その写真めっちゃ真っ黒(;'∀')
はあ、確かそんな写真でしたね。
白滝駅の写真とはいうものの、人が多くて駅がよくわからないといった感じの。
だからコピーし忘れていたのかもしれません。
白滝駅の旧駅舎の写真はほんと見かけたことがないですね。
「北海道690駅」は持っていたはずなんですが奥深くなおしてしまったようで・・・。
所在不明です(T-T)
昭和時代は旧駅舎だったわけですから、建築当初のものはともかくとして、平成前くらいには誰か撮っている人がいてもおかしくなさそうですけどねぇ・・・。
残念です。
私は転居を動いたのは一度だけですね。
親の仕事の都合で沖縄でした(^^;
当時の沖縄はモノレールさえなく、その間は鉄道の趣味を絶たれて寂しかったのを覚えています。
その代わり、城(グスク)とかの資料をたくさん読んだ記憶がありますね。
- 2016/02/24(水) 23:51:11 |
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