2016.02.20(Sat):駅探訪

[ 石北本線 下白滝駅 ]
今昔物語(4)
下白滝駅に最後の別れを告げる前から、LMにとってずっと気になっていたこと――。
それは「開業当時の下白滝駅の駅舎はどんなものだったのだろう」ということです。
もちろん、現在の下白滝駅自体も開業当時から残されているものではありますが、完全に当時のままとは思えません。
特に、玄関口には、以前はひさしがあったらしい形跡が残っているので、せめて正面側だけでも、過去にどんな姿だったかが分かれば……と思っていました。
しかし、LMが探す資料の中に、なかなかそうした資料は見当たりませんでした。
ところが、最近になって、昔の下白滝駅駅舎の写真が『白滝村史』なる資料に掲載されていることが判明。
また、この資料は、丸瀬布駅に併設された「丸瀬布生涯学習館」にも蔵書されていることが分かったので、今回、下白滝駅訪問の途中に立ち寄りました。

今昔物語(1)
※撮影年不明

今昔物語(5)
※2015年8月撮影
(白黒写真は『白滝村史』から。以下の写真も同じ。写真掲載については、白滝教育センターに電話で問い合わせ、了承していただいています)
昔の写真のうえに、小さい写真を無理に拡大しているので荒れてしまっていますが、上の写真がほぼ駅舎の設備が完全に残っていた頃の下白滝駅です。
開業当時の写真かどうかは不明ですが、少なくとも今の姿よりはずっと開業当時の姿に近いでしょう。
この写真を現在の写真と比較すると、随分と違う印象を受けます。
まず、予想外だったのが、玄関口のひさしが思っていたよりも立派だったこと。
ひさしがあっただろうことはLMにも想像がつきましたが、予想より大きな存在でした。
逆に、今の駅舎には玄関の頭上に三角状の突起がありますが、当時はありません。
ひさしが失われた後、雪が玄関に滑り落ちてこないように工作されたものでしょうか。
次に大きな特徴はやはり窓で、今は塗り潰されていますが、当時は上段の採光用(?)の窓が健在で、より堂々とした風格のある構えをしています。
こうして見たとき、基本的に同じ駅舎ではあっても、木造駅舎は時代と共に様々な変化を重ねているわけであり、LMが木造駅舎を紹介するときに決まり文句のように使う「開業当時の駅舎」という言葉が疑わしいものに思われてきます。

同資料には他にも白滝の駅が載っていましたので、ついでながらご紹介。
ただ、何故か白滝駅の旧駅舎は撮り逃してましたorz
なお、旧白滝駅の写真は『白滝村史』には出ていませんでした(ちなみに『白滝村史』発行時は旧白滝臨時停車場)。

[ 石北本線 上白滝駅 ]
今昔物語(2)
※撮影年不明

今昔物語(7)
※2016年1月撮影
まずは上白滝駅。
こちらは下白滝駅と違い、割と昔のイメージをそのままに残していますね。

[ 石北本線 奥白滝信号場(旧奥白滝駅) ]
今昔物語(3)
※撮影年不明

今昔物語(6)
※2011年2月撮影
そして奥白滝駅(現信号場)。
LMは信号場になった後の訪問でしたから、あまり比較にはなりませんが。

今は消え去ろうとしている駅たちですが、かつては必要に応じて設置された駅だったと思います。
『白滝村史』を読んでいても、かつてはたくさんの利用者や貨物のやり取りがあったと分かります。
しかし、かつての主要産業であった林業の衰退などにより、白滝の人口は減少し、それに伴い駅の利用者も減少。
なかには奥白滝のように周辺人口がゼロになったパターンもありました。
車社会の進展もあり、駅の利用者(列車の本数も)がますます減って、ついには「秘境駅」とまで呼ばれるに至りました。
そしてもうすぐ、白滝に存在した駅は、白滝駅以外消えていこうとしています。
そこには地域産業の衰退による過疎化など、日本の地方が持つ縮図があるような気がしてなりません。


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