[ 岡城跡(大分県竹田市) ]

先に紹介した「
宇佐のマチュピチュ」はさながら“空中都市(あちらは空中集落というべきか?)”だが・・・
今度はさながら“
空中城郭”の趣を見せる
岡城(豊後竹田城)に行ってみた。


岡城は、海抜325メートルの台地に築かれた要害だ。
戦国時代の最中、
豊後の大友氏と薩摩の島津氏が激闘を繰り返した頃。
九州統一を目指し北上してくる島津の大軍。
衰退した大友軍が総崩れとなる中で、18歳の武将・
志賀親次が指揮する岡城は堅固に守ってこれを撃退した。

今の高石垣を巡らした近世城郭としての岡城は、その後に城に入った
中川秀成が整えたものだとされ、本丸は1597(慶長元)年に完成したという。

城に上ってみると、“
天空の城”とも言われるほどの高さがまざまざと実感できる。
この日は天気も良く、気持ちの良い眺めだった。

とはいえ、
カメラを下に向けるのはかなりの勇気が必要。
股下に妙な冷や汗をかいた(汗)。
高所恐怖症の人は目がくらむことは必至だ。



これだけの天険があるのに「まだ足りぬ、もっと強く」と言わぬばかりの強固な石垣。
見事に積み上げられた石垣も岡城の見どころのひとつだ。


岡城で最も有名な三の丸の高石垣。
ただでさえそそり立つような断崖という天険があるうえに、さらに堅固な石垣がそそり立つ。
まさに“
難攻不落”という言葉がふさわしい。


階段を乗り越え、本丸へ突入する。

本丸も眺めが良い。
周囲は自然に満ち溢れ、心が洗われるような快さだった。
天気も良いので、清々しい気持ちになった。

本丸を遠望する。
石垣で固く守られているのが良く分かる。
こうしてみると、まさに「
天空の城」の呼び名がふさわしく思える。

岡城と言えば、この人を忘れるわけにはいくまい。
音楽家・
瀧廉太郎(1879~1903)。
少年時代を竹田で過ごした彼は、荒れ果てた岡城の印象が強かったと言われ、それがかの名曲「
荒城の月」の作曲につながったとされる。
「
~むかしの光いまいずこ」
あの独特な哀調を帯びた曲は、この城によく似合うと思う。

LMの城訪問では珍しく、天守や櫓などのない城“跡”の訪問だったが、天気が良かったこともあり、とても素晴らしい印象を持った。
その美しい光景が、鬱々した精神を穏やかにし、心を晴らしてくれるような気がした。
近くに行かれたら、ぜひ訪問をお勧めしたい場所だと思う。
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テーマ:城の写真 - ジャンル:写真
- 2019/06/11(火) 00:00:01|
- その他写真(非鉄)
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| コメント:2
私の好きなお城です。私は天守が無いいわゆる城跡を好みます。(人吉とか盛岡とか)
初めてこの城を訪れたときは、今ほど整備されておらず、もっとひっそりとした感じでした。
樹々もそうとう伸びてきたのか、石垣の眺めもさえぎられているように見えます。
- 2019/06/18(火) 17:23:00 |
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- とっしー #-
- [ 編集 ]
とっしー 様
こんばんは。
ご無沙汰しております。
コメントありがとうございました。
> 私の好きなお城です。私は天守が無いいわゆる城跡を好みます。(人吉とか盛岡とか)私はこれまで天守がある城を重点的に見てきましたが、この城は天守(や構築物)のない城の良さを教えてくれますね。
今後もまた、こういう城を巡ってみたいです。
> 初めてこの城を訪れたときは、今ほど整備されておらず、もっとひっそりとした感じでした。
> 樹々もそうとう伸びてきたのか、石垣の眺めもさえぎられているように見えます。そうですか。まあ、放っておくと木もどんどん伸びてきますからね・・・。
ただ、あまり伸びすぎると木が石垣を破壊してしまうということで、一定のところで木を切る方向性ではあるようなので、
適度に管理されているとは思います。
- 2019/06/19(水) 00:04:30 |
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