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2009.02.21(Sat):駅紹介・筑肥線編

西相知駅(11)
今日も、過去写真からお送りします。
本日は、LMにとって筑肥線で最も思い出深く、R嬢の聖地でもある西相知駅です。
西相知駅の旧駅舎は以前この記事で紹介していますが、それとは別の写真が出てきたので、改めて紹介します。

西相知駅(4)
西相知駅旧駅舎。
再掲です。
国鉄時代のまま時が止まったような、味のある駅舎でした。
ちなみに、現状は
西相知駅(13)
こうなっています。
跡形もない”というのは、まさにこういうことを言うのでしょう。
この写真がなければ「駅舎があった」という事実さえ忘れてしまいそうです。

懐かしき西相知駅(1)
ホーム側から見た旧駅舎。
少しアングルが違いますが、現状は
西相知駅(3)
こういう感じです。
今回、ネガと一緒に発見された、たった1枚の貴重な写真です。
写真がよごれていて申し訳ないのですが、これはネガから起こした写真ではなく、残っていた写真をスキャナにかけたものなのでお許しください。
そう、この写真だけは、今回見つかったネガの中にない写真なのです。
では、どうしてネガと一緒に発見されたかというと、ネガに隠れるように1枚だけ大切に挟み込まれていたからです。
LMは、この写真を撮った時の事情を少しずつ思い出しました。
西相知駅の駅舎は、他の筑肥線の駅舎に先駆けるように、早い時期に失われてしまいました。
それにショックを受けたLMは、R嬢の追憶のため、駅舎が失われたばかりの西相知駅と、その頃はまだ旧駅舎を残していた佐里・駒鳴駅を撮ることにしたのでした。
つまり、今回見つかったネガの写真を撮った頃には、既に西相知駅の旧駅舎は失われていたのです。
この写真は、それとは別の機会、LMが就職したばかりの頃、写真撮影の練習をした時に写したものでした。
結果としてはそこそこ撮れていましたが、この写真は練習程度のものだったので扱いは雑で、片づけ下手のLMの性格も災いし、いつしか散逸していました。
その頃は、まさかこの駅舎が取り壊されるなど夢にも思っていなかったので・・・。
このことは、どんなにつまらなく思える写真でも、後では非常に重要な記録になる可能性がある――ということを思い知らされた出来事になりました。

ともあれ、この結果、駅舎が取り壊された時に残っていた写真は、たまたま友人に寄贈していたこの写真だけになっていたのでした。
この写真は後に返還され、大切に保管していたはずでしたが、いつしか失われていました。
考えてみれば、追憶の写真を撮った際、関係ある写真なのでまとめておいたのでした。
当時のことはすっかり忘れていたのに、こうして見つかってみると、当時の思いをはっきりと思い出すことができるのでした。不思議なものです。

懐かしき西相知駅(2)
西相知駅の側線と車止め。
ちなみに、現状は
西相知駅(12)b
こうなっています。
側線は取り外され、面影はあるものの跡形もなくなっており、完全な1面1線の配置になっています。
ちなみにこの写真はネガから起こしたもので、つまり駅舎が取り壊された直後のものです。
駅舎が取り壊された後も、この側線はまだ残っていましたが、その後完全に取り外されました。
なお、この車止めは、ひとつ上の写真の左下にもわずかに写っています。
LMが初めて来た頃から、既に駅舎側の線路は車止めで止められていました。
元からこうだったのか、もっと前には1面2線の配置だったのか、そこまでは分かりませんでした。

懐かしき西相知駅(3)
西相知駅ホーム待合所のベンチ。
ちなみに現状は
西相知駅(7b)
こういう状況です。
待合所は、今も昔も同じと思っていましたが、いつもどこかに違和感を感じていました。
今ならそれが分かります。
椅子の向きが逆になっているのです。
何故、向きを逆にしたのでしょうか?
また、線路側をぐるりと何か囲いのような覆っているのが分かります。

今回「駅紹介・追憶の筑肥線」で紹介した駒鳴、佐里、西相知の3駅は、亡きR嬢に縁が深く、LMにとっても特に思い出深い駅です。
今でも、筑肥線で最も好きな3駅となっています。
その3駅の思い出の写真がこうして揃って出てきたのは、本当に嬉しい出来事でした。
ただ、懐かしさのあまり、ここ数日、感傷的な文章が続いて申し訳ありませんでした。
来週からは、新しいシリーズを始めます。


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