
今日も、過去写真からお送りします。
本日は、LMにとって
筑肥線で最も思い出深く、R嬢の聖地でもある
西相知駅です。
西相知駅の旧駅舎は以前この記事で紹介していますが、それとは別の写真が出てきたので、改めて紹介します。

西相知駅旧駅舎。
再掲です。
国鉄時代のまま時が止まったような、味のある駅舎でした。
ちなみに、現状は

こうなっています。
“
跡形もない”というのは、まさにこういうことを言うのでしょう。
この写真がなければ「駅舎があった」という
事実さえ忘れてしまいそうです。

ホーム側から見た旧駅舎。
少しアングルが違いますが、現状は

こういう感じです。
今回、ネガと一緒に発見された、
たった1枚の貴重な写真です。
写真がよごれていて申し訳ないのですが、これはネガから起こした写真ではなく、
残っていた写真をスキャナにかけたものなのでお許しください。
そう、この写真だけは、今回見つかった
ネガの中にない写真なのです。
では、どうしてネガと一緒に発見されたかというと、ネガに隠れるように1枚だけ大切に挟み込まれていたからです。
LMは、この写真を撮った時の事情を少しずつ思い出しました。
西相知駅の駅舎は、他の筑肥線の駅舎に先駆けるように、早い時期に失われてしまいました。
それにショックを受けたLMは、R嬢の追憶のため、駅舎が失われたばかりの西相知駅と、その頃はまだ旧駅舎を残していた佐里・駒鳴駅を撮ることにしたのでした。
つまり、今回見つかったネガの写真を撮った頃には、既に
西相知駅の旧駅舎は失われていたのです。
この写真は、それとは別の機会、LMが就職したばかりの頃、写真撮影の練習をした時に写したものでした。
結果としてはそこそこ撮れていましたが、この写真は練習程度のものだったので扱いは雑で、片づけ下手のLMの性格も災いし、いつしか散逸していました。
その頃は、まさか
この駅舎が取り壊されるなど夢にも思っていなかったので・・・。
このことは、どんなにつまらなく思える写真でも、後では
非常に重要な記録になる可能性がある――ということを思い知らされた出来事になりました。
ともあれ、この結果、駅舎が取り壊された時に残っていた写真は、たまたま友人に寄贈していたこの写真だけになっていたのでした。
この写真は後に返還され、大切に保管していたはずでしたが、いつしか失われていました。
考えてみれば、追憶の写真を撮った際、関係ある写真なのでまとめておいたのでした。
当時のことはすっかり忘れていたのに、こうして見つかってみると、当時の思いをはっきりと思い出すことができるのでした。不思議なものです。

西相知駅の側線と車止め。
ちなみに、現状は

こうなっています。
側線は取り外され、面影はあるものの跡形もなくなっており、完全な1面1線の配置になっています。
ちなみにこの写真はネガから起こしたもので、つまり駅舎が取り壊された直後のものです。
駅舎が取り壊された後も、この側線はまだ残っていましたが、その後完全に取り外されました。
なお、この車止めは、ひとつ上の写真の左下にもわずかに写っています。
LMが初めて来た頃から、既に駅舎側の線路は車止めで止められていました。
元からこうだったのか、もっと前には1面2線の配置だったのか、そこまでは分かりませんでした。

西相知駅ホーム待合所のベンチ。
ちなみに現状は

こういう状況です。
待合所は、今も昔も同じと思っていましたが、いつもどこかに
違和感を感じていました。
今ならそれが分かります。
椅子の向きが逆になっているのです。
何故、向きを逆にしたのでしょうか?
また、線路側をぐるりと何か囲いのような覆っているのが分かります。
今回「駅紹介・追憶の筑肥線」で紹介した
駒鳴、佐里、西相知の3駅は、亡きR嬢に縁が深く、LMにとっても特に思い出深い駅です。
今でも、筑肥線で最も好きな3駅となっています。
その3駅の思い出の写真がこうして揃って出てきたのは、本当に嬉しい出来事でした。
ただ、懐かしさのあまり、ここ数日、
感傷的な文章が続いて申し訳ありませんでした。
来週からは、新しいシリーズを始めます。
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テーマ:駅の風景 - ジャンル:旅行
- 2009/02/21(土) 00:00:01|
- 駅紹介・筑肥線編
-
-
| コメント:6
写真って後々本当に大きな存在になりますね。
私も鉄道がワンマン主体になるとか、筑肥線が東西に分断されるとか、何より国鉄がなくなるなんか考えたこともなく、何十年先も同じ光景が続くものと思っていました。
私が筑肥線に数多く通って撮影しているのも記録って部分が大きいかも知れません・・・
3駅の懐かしい写真、私も在りし日の国鉄を思い出させていただきました。
- 2009/02/21(土) 00:21:53 |
- URL |
- 伊万里保線区 #-
- [ 編集 ]
伊万里保線区様、いらっしゃいませ。
いつもコメントいただき感謝しております<(_ _)>
> 写真って後々本当に大きな存在になりますね。
> 私が筑肥線に数多く通って撮影しているのも記録って部分が大きいかも知れません・・・
そうですね。
撮った時には本当に何気なく撮った写真が、後になってとても貴重な写真になるということはよくあります。
例えば、寝台特急が失われる場合は、そのラストランを多くの人が写真に収めます。しかし、西相知駅の旧駅舎や、駒鳴駅の警報機交換などは、多くの人が気付かないところで、ひっそりと進行しています。他の人がどう思うかはともかく、私にとっては大切な思い出があるモノが少しずつ失われていく――。それは、時勢の流れでいかんともしがたいですが、私の記憶にしっかりとどめておくために、写真はとても重要な存在です。
> 何十年先も同じ光景が続くものと思っていました。
私もそうです。よほど優れた人間ならともかく、普通の人間は陥りやすい錯覚ですよね。
しかし、考えてみれば、老朽化や天変地異などでそうした景色が失われる可能性というのはいくらでもあるわけですよね。失われた後、それが大切な光景であると気づいたことが何度あったことか・・・。
> 3駅の懐かしい写真、私も在りし日の国鉄を思い出させていただきました。
この写真は、全てJR時代のものですが、以前はこうした駅舎がまだまだたくさんありました。
ここ最近、急速に失われていますね。悲しいものです・・・。
- 2009/02/21(土) 13:41:40 |
- URL |
- LM #-
- [ 編集 ]
お陰様で思い出しました西相知駅の駅舎。
駅から駅舎が無くなると、とても淋しくなりますね。
現在は、駅舎が無くなり駅というより停車場って感じになってしまってますが、至る所に栄えた頃の面影が残っていてある意味遺産だなぁ・・・と思いました。
それから、西相知駅の駅舎・・・Rさんとの思い出が詰まったとても大切なものだったんですねぇ・・・。
- 2009/08/15(土) 22:57:07 |
- URL |
- 気まま #Z4ZSbRmI
- [ 編集 ]
こんばんは、気まま様。
コメントありがとうございます。
> お陰様で思い出しました西相知駅の駅舎。
> 駅から駅舎が無くなると、とても淋しくなりますね。
そうですね、やっぱり駅舎がなくなると寂しいです。
特に、木造で味のある駅舎でしたし・・・。
思い出もたくさんありましたしね。
> 至る所に栄えた頃の面影が残っていてある意味遺産だなぁ・・・と思いました。
はい。いろいろ遺構があるので、あちこち探し歩きたいとは思いますが・・・。
この季節は、ヘビなんかが出てちょっと危険(汗)なので、冬にでも・・・。
> それから、西相知駅の駅舎・・・Rさんとの思い出が詰まったとても大切なものだったんですねぇ・・・。
はい。
彼女からは、いろいろ教えてもらった気がします・・・。
その記憶があればこそ、私はこうして駅を探索して歩くのだと思いますね。
- 2009/08/17(月) 05:14:31 |
- URL |
- #-
- [ 編集 ]
こんにちは、LM様。
筑肥線ですが、私は姪浜~西唐津電化直後の1983年4月に訪問してます。残念ながら気動車時代と旧・東唐津の「スイッチバック」を体験できませんでしたが、山本~伊万里はまさに「国鉄」の面影をかなり残してますね。
LMさんの御言葉に「当時のことはすっかり忘れていたのに、こうして見つかってみると、当時の思いをはっきりと思い出すことができるのでした。不思議なものです。」とありましたが、まさに私も昔の写真などが出てくると、当時の事をはっきりと思い出しますから不思議なものです。逆に、当時の事はしっかり記憶にあるのに、「こういうのを持ていたなぁ」と無くなってしまった写真を思い出すこともあります。
例え一枚の写真でも、必ず何かの「ドラマ」が存在するから不思議ですね。
- 2013/10/01(火) 20:21:23 |
- URL |
- ダイヤモンド☆トナカイ #-
- [ 編集 ]
ダイヤモンド☆トナカイ 様
こんばんは。
いつもコメントありがとうございます
> 筑肥線ですが、私は姪浜~西唐津電化直後の1983年4月に訪問してます。残念ながら気動車時代と旧・
> 東唐津の「スイッチバック」を体験できませんでしたが、山本~伊万里はまさに「国鉄」の面影をかなり
> 残してますね。
仰る通り、山本~伊万里間は電化されていないので、昔ながらのローカルな光景ですね。
国鉄色のキハが走るのが似合いの路線ですよ。
ただ、国鉄時代の駅舎は次々と姿を消してしまっているのが寂しい限りです。
今やこの区間に残る国鉄時代の木造駅舎は肥前長野と山本だけで、“絶滅危惧種”ですからね。
> LMさんの御言葉に「当時のことはすっかり忘れていたのに、こうして見つかってみると、当時の思いを
> はっきりと思い出すことができるのでした。不思議なものです。」とありましたが、まさに私も昔の写真
> などが出てくると、当時の事をはっきりと思い出しますから不思議なものです。逆に当時の事はしっかり
> 記憶にあるのに、「こういうのを持ていたなぁ」と無くなってしまった写真を思い出すこともあります。
元々、私は写真撮影が苦手で、嫌いでした。
そんなわけで、大好きな筑肥線の駅の写真をあまり残せていません。
その時の後悔があるものですから、今はつまらない写真でもなるべく撮りためています。
どんなに愛する駅も、どんなに愛する車両も、いつかは消えゆく運命にあるのなら、せめて写真にしっかり残しておいて、自分の記憶にとどめておこうと。
大好きなものの記憶は割と明快なものですが、細かい部分になると忘れているものです。
写真は、自分の記憶を風化させないための、大切な“記憶の1ページ”ですね。
- 2013/10/02(水) 00:15:43 |
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- #-
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