今回の旅路:稚内(北海道)※注:今回の写真は、過去に撮影した写真が多く含まれています。
(特記なきものは今回撮影分)
[ 4日目/稚内駅 ]

行程4日目、いよいよ
北海道の旅も最終行程です。
仕事の時でさえ7時半頃にしか起きない(汗)LMですが、
旅行中はいつも早起きになります。
本数の少ない列車で効率的に動くには、どうしても朝早くから行動せねばなりません。
始発列車に乗るのは当たり前のため、朝は5時台、どうかすると4時くらいに起きなければならないこともあります。
このため、ホテルに泊まっていても、
まず朝食にはありつけません(ノД`)
この日は始発列車ではないものの、早朝から活動せねばならないことに変わりはなく、5時台には起床しました。
早起きが苦手なLMには、
なかなか辛い旅行中の日課です(苦笑)。

(2004.02.12)
稚内駅駅舎。
少し昔の写真で、2004年に撮影したものです。
本当なら、こんな古い写真を持ち出してくるのではなくて、現状の稚内駅を撮りたかったのですが・・・。

稚内駅周辺では、現在、
大規模な再開発に伴う工事が行われています。
この工事は、
稚内市が行っている「
市街地総合再生計画」によるものです。
計画では、駅周辺の再開発が重点に置かれており、
駅周辺の景観は大幅に変わるものと思われます。
この計画に伴い、
現行の駅舎は建て替えられることになります。
LMの思い出深い駅舎がまたひとつ、消えていこうとしています。

(2004.02.12)

現在の駅舎との出会いは、もう十年以上前になります。
それ以降、多い時は年に3回くらい来たこともあるので、通算では十数回この地に降り立ったことでしょう。
最果ての地で出迎えてくれるこの駅舎が、LMは大好きでした。
いろいろな季節の思い出がありますが、特に
雪深い冬の思い出が多いですね。
しかし、そんな思い出の多い駅舎も、もうすぐ記憶の中だけの存在になろうとしています。
今となっては、駅舎の写真をあまり撮っていなかったことが悔やまれます・・・。

せめて、消えゆく前に、もう最後となるかもしれない駅舎の撮影をしておきたかったのですが・・・。
残念ながら、駅前は既にこの状態。
駅舎のすぐ前では工事が行われており、駅前は完全に覆われています。
既に、駅舎を撮影できる状態ではありませんでした。

(2007.08.17)

駅舎に先立ち、2010年1月30日には、写真に見える
2番線が廃止されました(写真左側が2番線)。
これは、2番線の敷地内が工事区画にかかることによる措置のようです。
2010年3月現在、
2番線側の線路は全て剥がされ、更地になっています。
これにより、稚内駅は1番線のみの単式ホームになり、線路も単線になり、ポイント等は撤去されました。
実のところ、LMは、駅舎の建て替えについては事前に情報を得ていたものの、この2番線の廃止とそれに伴う周囲の更地化が1月30日に迫っていることは知りませんでした。
ただ、これだけ大規模な再開発が行われる以上、見慣れた景色が失われるかもしれないという漠然とした不安はありましたが、まさかこれほど早くとは・・・。
この写真が、今では貴重な記録になってしまいました。

(2007.08.17)

2番線廃止に伴い、ホームの北側先端も一部解体されました。
これによって、この写真に写っている
「日本最北端の駅」の標柱も撤去となりました。
2010年3月現在、この写真に写っている鉄道施設は、ほぼ全て撤去されているはずです。

(2007.08.17)

駅の北側に“あった”最北端を示す看板。
稚内駅を利用した旅人なら、誰でも一度は目にしたであろう、
稚内駅の名物看板です。
しかし、
この看板も撤去され、その存在は既に“あった”という過去形になっています。
看板の奥に見える景色も、今ではすっかり違っていることでしょう。

出発の時間が迫り、LMも特急「
スーパー宗谷」に乗り込みます。
その前に、周囲の光景を少しでも心に留めておこうと、出発間際までしっかり見届けた後、列車に飛び乗りました。
この時に見た景色の多くが今は失われ、事実上、
思い出の光景との最後の別れになってしまいました。
出発前の数分間、魂に刻みつけた光景は、LMにとって大切な思い出となりました。


2番線ホームから発車する特急「スーパー宗谷」。
「スーパー宗谷」は緩やかに加速を始め、見慣れた稚内駅の景色も少しずつ遠ざかっていきます。
その光景を、LMは列車先端の貫通扉にある窓から見つめ続けていました。
次に行く時には、もうこの景色を見ることができないかもしれない・・・。
覚悟はしていましたが、まさかこんなに早く現実になろうとは・・・。
この時は2番線廃止の事実を知らなかったLMも、何か心が騒いだのか、それとも思い出深い駅に“呼ばれた”のか、普段はあまり見ないこの景色を、いつまでも眺め続けていました。
今でも、その時の記憶を鮮明に思い出すことができます。
さようなら、最北の駅。
さようなら、思い出の光景。
2010年、
夜明駅や大鶴駅の駅舎が失われるなど、LMの大切な思い出の光景が少しずつ消えていきました。
そして今、この風景も、
記憶の中だけの景色になりました。
でも、LMがその光景を忘れることは決してないでしょう。
写真の中に――そして何よりも心の中に、その景色は残されているから。
今となっては、せめて失われる前に、
この景色を魂に刻む最後の機会を得られたことを感謝しています。
(つづく)
P.S.
「
くもゆに写真工房」様のサイトに、2月時点での稚内駅の状況が展示されています。
1月末での2番線廃止や、その後の工事状況、現在の稚内駅周辺の情景がよく分かりますので、ぜひご訪問ください。
ただし、稚内駅を良く知る人、LMと同じくこの駅に愛着を持つ人にとっては「残酷」「惨い」と思えるような景色を目の当たりにすることになるかもしれません。
「くもゆに写真工房」様メインページ「くもゆに写真工房」より、稚内駅周辺工事(2月)「くもゆに写真工房」より、稚内駅周辺工事(1月)「くもゆに写真工房」より、2番線廃止当日の様子(1月30日)※「くもゆに写真工房」管理人・くもゆに様にご了承いただいてリンクさせていただいています。
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テーマ:鉄道旅行 - ジャンル:旅行
- 2010/02/24(水) 00:00:01|
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