祖父の
四十九日の法要でした。
祖父が亡くなったのは、7月の夜。
94歳でした。
LMはたまたま所要で遠くにいたので、死に目に立ち会えませんでした。
滞在先で突然危篤の報を受け、ひどく動揺したのを今でも思い出します。
「100歳まで生きる」と言っていた祖父。
昨年も、一時は危篤になりながら、また元気になりました。
それまでも、何度も危険な状態を乗り越えてきていました。
危篤の報を聞いても、祈るような思いで回復を願っていましたが……。
願いもむなしく、危篤の報を聞いてから、十数分後に訃報の知らせを受けました。
翌日、朝一番の列車で駆け戻り、遺骸に接しました。
『100歳まで生きる約束だったじゃないか』
涙を流しながら、心の中でついそんな愚痴をこぼしてしまいました。
まだ幼かった頃、祖母は早くに亡くなり、父母は仕事で遅かったため、私はいつも祖父の隣にいました。
祖父に受けた影響は大きく、自分の人生観にも多分に影響していると思います。
いつも明るく、人を惹きつけずにはいられないニコニコした笑顔。
暇さえあれば草取りやゴミ拾いをして回り、表彰されたことも度々。
周囲の信頼も厚い人格者でした。
小屋も一人で建て、どこにいくにも自転車――と、ヴァイタリティにあふれていた祖父。
その生き方は、まさに“人生の楽しさと素晴らしさ”を体現したものでした。
その人生は、とうてい語り尽くせません。
そんな立派な祖父からするとダメな孫。
でも、祖父の持っていた“熱い思い”を何かしら継げるといいなぁ、と思います。
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テーマ:私事 - ジャンル:その他
- 2008/08/30(土) 15:52:48|
- 雑記
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| コメント:4
こんばんは。
リンクしていたとはいえ、随分と昔の記事にコメント・・・(笑)。
でも、ありがとうございます。
思い出のたくさんある祖父や祖母が死ぬのは悲しいですね。
心にポッカリ穴が開いた感じで・・・。
でも、コメントのように、今は天国から見守ってくれていることでしょう。
あまり長生きする気もないのですが・・・(笑)。
過去の悲しみと、それによって心に受けた傷のせいで悲観的になりがちですが、生きている限りは、少しでも前を向きたいものです。
- 2009/08/13(木) 05:06:52 |
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久々のコメント失礼いたします。
最近転居作業に追われた毎日でしたが、近頃は落ち着きこうしてPCと向き合える時間も作る事が出来ていい感じで時間が過ぎて行きます。
さて、身内の記事を拝見させていただいて感じた事ですが、LMさんにはこうした尊敬出来る身内の存在があって素敵ですね。
私の場合はそうした経験が薄いためLMさんは幸せであると羨ましく思います。
私の家は実家でも無く本家でも無いのでそうした経験が薄いのもありますが、幼い頃は「なんでウチにはおじいちゃんおばあちゃんがいないんだろうか」って思った事もありましたしそのおじいちゃんと自分が血のつながった親戚って実感するようになったのはそれこそ自分が大人になってから、いや、ここ20年くらい前からその意味が実感としてその意味がわかるようになってきたのは少々お恥ずかしい話でしょうか。
- 2020/10/11(日) 20:46:47 |
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- ダイヤモンド✩トナカイ #-
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ダイヤモンド✩トナカイ 様
こんばんは。
コメントありがとうございます。
> 久々のコメント失礼いたします。いえ、こちらこそご無沙汰しておりまして申し訳ないです。
仕事が多忙過ぎて、ロクにコメントも残せずすみません。
現在は正直、ブログ訪問さえもツラいような状況で・・・。
いや、家族のあり方というのは人それぞれですからね。
恥ずかしいなんてことはないと思いますよ。
祖父祖母と同居されてない方もあるでしょうし、片親という家庭もあるでしょう。
逆に、私にはそうした経験がないので、その方たちが祖父母や両親にどんな思いを抱くのか想像するのさえ難しいところですし・・・。
私にしても、祖母は幼いころに亡くなったので、祖母の存在感というのが薄かったのですが、大きくなってから分かったこともありますから、そちらと同じですよ。
- 2020/10/11(日) 23:01:18 |
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