2011.09.05(Mon):鉄道写真

[ 山陽本線 八本松-瀬野間 ]
暑中見舞(1)
北九州で貨物撮影をした後、LMの貨物熱(?)はますます強くなって来ました。
そこで、今度は、より貨物列車の運転本数が多い山陽本線まで出向くプランを立案。
目指すは、今も貨物列車には補機(補助機関車)を必要とするという、広島県のセノハチ(瀬野八)です。

セノハチ(1)
セノハチとは、山陽本線・八本松~瀬野間(約10km強)の通称で、国内でも有数の峠越え区間です。
正式な峠の名称は大山峠と言われていますが、(少なくとも鉄道では)“セノハチ”の名で知られています。
ここで、少し脇道に逸れるようですが、山陽本線の歴史を紐解いてみると・・・。
現在の山陽本線は、明治時代に山陽鉄道が敷設したものが国有化され、今に至っているものです。
その山陽鉄道の初代社長・中上川彦次郎は、「百分の一」「ワン・ハンドレッド」のあだ名を奉られていました。
これは、彼が瀬戸内航路との競争のために、山陽本線の線路勾配をとにかく抑え、100分の1以下(=10パーミル以下=距離1000mあたり10mの高低差以内)に収めよ、と指示したためです。
この大方針は、1891(明治24)年の中上川社長退社後も維持されました。
ところが、ここに紹介するセノハチの区間(1894年開業)は、その例外となります。
この長大な峠道に線路を敷くに当たり、山陽鉄道は経済性を優先して最短経路での敷設としたのです。
これにより、瀬野→八本松間は22.6パーミル(距離1000mあたり22.6mの高低差)の急勾配区間となりました。
距離も相応にあるため、連続する急勾配は、列車にとって大変な難所として立ち塞がることになります。
それを克服するため、セノハチでは、開業以来、蒸気機関車の昔から電気機関車の今に至るまで、補機が活躍することになったのです。

[ 山陽本線 八本松駅 ]
セノハチ(2)
かつて、寝台列車等が走っていた頃は、旅客列車も補機が後押ししており、ひところは電車さえ補機を必要としていました。
しかし、現在では、補機が活躍するのは貨物列車の後押しのみとなっています。
山陽本線を駆け抜ける貨物列車は長大編成なので、この勾配を越えるにはやはり補機の助力が必要なのでしょうね。
この難所で、現在、補機として活躍しているのがEF67形電気機関車
EF67は、この急勾配区間を乗り切るために後押し専用として配備された、頼もしい機関車なのです。
朱色に塗られているので、一見交流機関車かと思いがちですが、実態は直流機関車。
この塗装は、広島県の県花であるモミジにちなんでいるとも、特殊な用途なので朱色で視認性を高めているためとも言われています。

[ 山陽本線 西条駅 ]
暑中見舞(2)
急勾配が続く難所で、毎日毎日、ひたすら貨物列車を後押ししながらの峠越えに徹する“山男”。
そんなEF67の活躍を見たくて、セノハチ(一部他の場所も含む)で撮影し続けた2日間の記録をご覧ください。

(2011.07.16~17)


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