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2013.04.24(Wed):雑記

曼珠沙華2011(3)
先日、身内が死去しました。
非同居ですが、子供のころからとても親しくしていたので、とても悲しかったです。
数日前までは何事もなかったのに、朝、不意に危篤の一報が。
そして、心の準備を整える間もなく、数時間後には逝去しました。
その死顔は眠るが如く、穏やかでした。
高齢でしたから、大往生と言えば言えますが・・・。
あまりの突然さに、人生の儚さも感じました。

さようなら・・・
葬儀の日、溢れる涙をこらえながら、今生の別れを告げたのでした。

曼珠沙華2011(5)
身内は浄土真宗でしたから、葬式の際には「白骨の御文章」が読み上げられます。
しかし、LMは逝去の報に接した時から、この御文章の言葉が口をついて出てきました。

朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり・・・

この言葉を口にしたとき、思わず涙が出ました。
普段から信心深いとは言えないLMですが、何故かこの「御文章」だけはとても心に残っています。
最後の部分を除けば、宗派を問わず、人の儚さをよく言い表した文章ではないでしょうか。

LMは、年の割には、他人より人生の無常を強く感じている気がします。
それは、大切な人を2人も若くして亡くしたことに起因しているのでしょう。
駅の魅力を教えてくれたR嬢
LM最愛の女性
まだまだこれからというのに、夭折してしまった2人。
その時ほど、人生の儚さを感じたことはありませんでした。
そんな記憶を持つLMだからこそ、この「白骨の御文章」が心に響くのかもしれません。



参考:白骨の御文章(御文章五帖目十六通)

夫(それ)、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに。
おおよそはかなきものは、この世の始中終(しちゅうじゅう)、幻の
如くなる一期なり。
されば未だ萬歳(まんざい)の人身(にんじん)をうけたりという事を
聞かず、一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体(ぎょうたい)を
保つべきや、我や先、人や先、今日とも知らず明日とも知らず。おくれ
先だつ人は、本の雫(もとのしずく)末の露(すえのつゆ)よりも繁し
といえり。
されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には
白骨となれる身なり。すでに無常の風来りぬれば、すなわちふたつの眼
(まなこ)たちまちに閉じ、ひとつの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく
変じて桃李(とうり)の装いを失いぬるときは、六親眷属(ろくしん
けんぞく)集りて嘆き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半(よわ)の煙と
なし果てぬれば。ただ白骨のみぞ残れり、あわれというも中々おろか
なり。されば人間のはかなき事は、老少不定(ろうしょうふじょう)の
さかいなれば。誰の人も、はやく後生(ごしょう)の一大事を心に
かけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。
あなかしこあなかしこ。

(「真宗勤行集」より、一部漢字・かなを補正)


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